大学生らしく、進級試験を例に「合格=成功」「不合格=失敗」とします。
たとえば、大学で先輩が後輩に言う「勉強しなくても受かるよ」という言葉。これには数々の言外に含まれる前提条件があって、
「勉強しなくても(講義をちゃんと聞いていれば)受かるよ。」
「勉強しなくても(その場で頭を使って考えれば)受かるよ。」
「勉強しなくても(※個人比)受かるよ。」
など、言う人それぞれによって異なる含みがあります。また、大抵の人は自分の勉強時間を低く申告する傾向がありますし、いざ経験してみると大したことなかったなと思いがちです。
そういった認知の歪み、地頭の良さの違いや年度ごとに変わるかもしれない試験の難易度などなどを考慮せず、「勉強しなくても受かるよ」を鵜呑みにしてしまうと、まぁ、落ちますよね。
その先輩はたまたま合格できた、たまたま成功したにすぎません。極論、運が良かっただけです。もう一度同じように試験を受けたとして、胸を張って再び合格しているか怪しいのです。
「タバコ吸いまくってるけど健康だ! 俺の肺は頑丈だからな!」
たまたまです。まだ大丈夫なだけです。いずれやばいことになるかもしれません。
「試験期間、毎日3時間睡眠でも平気だったぜ!」
たまたまです。平気ではなかったと思います。
「私食べても太らない体質だから♡」
たまたまです。数年後も同じことを言えてたらいいですね。
「この時間にガチャ引くと当たるよ」
たまたまです。運が良かったですね。
タマタマです。
○○をしたら上手くいった!という体験談はあまりアテになりません。再現性がないからです。
ただし、価値が無いとは言いません。成功例の扱い方に関してはまた別の機会に言及したいと思いますが、自分に今求められているのはどちらかという点を意識してください。
私はゲームが好きなのでマニアックに喩えてしまいますが、リアルタイムアタックといういかに早くゲームをクリアするかを競う遊び方があります。目的はゲームクリアで同じなのですが、人によって安定をとるか攻めをとるか思考が分かれます。
強敵に対し、レベルをどこまで上げるか。レベルを上げたほうが勝率は上がり安定しますが、そのぶん遅くなってしまいます。レベルを上げずに攻めると安定はしませんがそのぶん早くなり記録も狙えます。再現性の点では前者の安定志向のほうが運による誤差を減らせるので再現性が高いと言えます。
どちらが良い悪いではありません。ケース・バイ・ケースです。
進級試験は年に一回しかない一発勝負なので、再現性の高い方を選ぶべきだと思います。
とまぁ、これまで「成功例に再現性はない」を力説してきましたが、この逆も成り立つと考えています。
「失敗例に再現性はある」
人のふり見て我が振り直せ。同じ轍を踏まない。二の舞いを演じない。しくじり先生。反面教師。失敗は成功の母なり。ヒヤリ・ハット。インシデントレポート。僕が改めて言わなくても様々な訓示が溢れていますね。
「あのときもっと○○やっていればよかった。」
「徹夜して勉強したら眠くて頭働かなかった。」
「範囲終わらせることに夢中になりすぎて何も覚えてなかった。」
「寝なきゃと思って睡眠薬飲んだら寝坊した。」
「裏面に問題あるの見逃した。」
「シャーペンの芯を補充し忘れていた。」
失敗例こそ価値があり、それを再現しないように行動すべし。これを意識すると、綺羅びやかな本屋の一角、不安を煽る商売、自信有りげなパワーある広告などに惑わされない穏やかな人生を歩めると思います。
成功をなぞるor失敗を避ける。
目に見えた失敗を避けるのは即効性があります。「失敗しない=成功」とは限りませんが、世の中には成功することよりも失敗しないことを求められる場面のほうが多いと思うんですよね。
まとめると
・成功例に再現性はない
・失敗例に再現性はある
・どちらをとるかはケース・バイ・ケース
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私がブログを書こうと思ったのは、結果がどう転んでもサンプルになりえるなと思っているからです。「勉強せずにあれこれ語っていると落ちる」のだと。卒業できない・国試に受からない、これをもってこのブログは完成します。
完成させたくないです。